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サメの性~裏話

  • 執筆者の写真: Shigehiro Kuraku
    Shigehiro Kuraku
  • 7月30日
  • 読了時間: 10分

更新日:8月2日

性染色体や性決定についての研究は、正直に言って当研究室の伝統的なフォーカスではない。それでも、独自の貢献をできるのではないかと期待し進めてきた。今月後半に入り、丹羽君の学位公聴会もあって慌ただしく、オンライン出版までのタイムラインを読み違えたせいで関係の方々をお騒がせしてしまったのだが、プレスリリース配信となったこのタイミングで、出版成ったばかりの論文の「メイキング」(大げさ?)として裏話を含めて、ここに綴ってみる。


下記に登場するノコギリエイの一種。撮影場所は(日本でノコギリエイを観るには当然)アクアパーク品川
下記に登場するノコギリエイの一種。撮影場所は(日本でノコギリエイを観るには当然)アクアパーク品川

(不正確な記述はご指摘に従って修正していく可能性が高いです)


まず、サメの性を調べる意義から。軟骨魚類の雌雄差について、ひとつ際立つ特徴は、ある程度成長すると外見から容易にオスかメスの区別がつくことであろう。また、性転換の報告は見つけることができず、ひょっとしたら皆無かもしれない。これらの点から、性の境目が明瞭であるという印象を抱く(参照、小林ら、2021)。「魚」と簡単にまとめてはいけない、といつも声高に言っているが、これらの点でも、軟骨魚類は条鰭類とは大きく異なるのである。サメ類の中には寿命が100年を超える種もおり、変容が危惧される海の生態系において回復に最も時間のかかる生物群のひとつであるされている。こういった生物種における性についての理解は海の生態系の推移を調べる助けにもなると期待される。


今回の研究の成果について、サメ・エイの性染色体は約3億年前から保持されてきたものであり、それは脊椎動物で最古である可能性が高い、という書き方をした。ここには、サメとエイの系統はそれぞれがいわゆる単系統群であるが、それら2つの系統が約3億年前に分岐したこと、そして、脊椎動物のさまざまな系統を見渡しても、それを凌ぐ古さの性染色体を保持しているとおぼしき種群がなさそうだということの2つの推察が含まれている。厳密には、いまだ性決定様式の知見について主だった報告のない円口類ヌタウナギや条鰭類のうち腕鰭類(ポリプテルスなど)の系統が、さらに3億年を超えてくる可能性はゼロとはいえない。いっぽうで、約3億年という推定の根拠については、化石記録を加味した分子配列情報に基づく解析が複数出されていて、サメとエイの分岐時期は大方この時期とされている。辿れば、私が主要著者となった出版物の中で、軟骨魚類がおもな対象となった論文の中で最も古いもの(Renz et al., 2013)が、たまたまその分岐年代についてのもの(3.06億年としている)であった。この論文で触れた化石記録についてJürgen Kriwet博士と議論できればと当時の博士の所属先であるStuttgartの博物館を(私が当時住んでいたKonstanzから)訪ねたのが懐かしい。


当研究室として、性染色体を扱った初めての論文はたった2年弱前のYamaguchi et al., Genome Res 2023であった。これが、世界で初めて軟骨魚類の性染色体のDNA配列を報告した論文であり、この研究領域(領域と呼んでよいのなら)の歴史は非常に浅い。具体的にはトラフザメとジンベエザメのX染色体を報告したのだが、ゲノムシークエンスにおいてメスで約2倍の深度を示すということを論拠としていた。この時点では、そのX染色体の起源はジンベエザメとトラフザメの分岐点にまでしか遡れなかった(これが意外と古く5千万年前?)。周辺論文をフォローしている方なら、今回出版成った論文(Niwa et al., 2025)に先立って、Wu et al., Cell Genomics, 2024、そして、Lee et al., bioRxiv, 2025という報告があったのをご存じだろう。我々は、性染色体の同定そして性決定のメカニズムの追究において、これら他所からの報告よりもさらに真実に近づくため特にこだわった。前者の論文へは、解析全般に意見を求められた流れから私は共著者に迎えられたのだが、その中ではサメで同定されたX染色体がエイ類にも共有されることまでは示せていなかった。公共データベースに含まれるホシフリエイ(Amblyraja radiata)のX染色体の同定が間違っていたためである。いっぽう、後者のLee et al.の報告では、VGPというコンソーシアムと連携していながらも、上記の「論拠」の記載が一部の種で不十分であり、また、胚などの生体試料の入手に制限のある種を扱っているために、ゲノム配列の解析の域は出ていない。対して、我々の研究では、イヌザメ、トラザメ、アカエイと、ゲノム配列情報を読み取ったうえで、それを基に胚などの組織試料を用いた遺伝子発現解析を重ねて、遺伝子量補償の有無にも迫った。ここでイヌザメのデータ取得には、当時神戸大院生であった大石雄太君の貢献も欠かせなかったし、トラザメとアカエイ(に加えてゾウギンザメについても)の試料確保には、東京大学大気海洋研の生理学研究室(兵藤研究室)の協力が不可欠であった。RNA-seqデータを使って遺伝子量補償に迫った点は(テンジクザメ一種についてだが)、上記のWu et al.の研究も同様である。対象種のバリエーションについていえば、試料を用いて独自にデータ取得して解析した上記3種とは別に、ノコギリエイ、エポレットシャークやアオザメ、そして、(データベースでのX染色体の記載の間違いに気づいて正した)ホシフリエイについては、他所から出ていた配列情報の二次利用にとどまりはしたが、これらを大学院生の丹羽君が徹底的に行ったことで、系統学的に広範なサメ・エイ類をカバーする解析の結果が揃い、約3億年前から保持されてきたらしいとの結論が顕わになった。付け加えておきたいのは、Wu et al.とLee et al.の両チームとも、それなりの連絡を取りながら(それぞれ対象とする主要生物種が異なるため「協働」できる余地は少なく)別個に真実へ向かって研究を進めてきたということである。性決定、ゲノム情報、軟骨魚の生物学のどれにも長けた研究環境というのは存在しえない、という状況の中、ともに大学院生が実務を引っ張って、ほぼ白紙ともいえるテーマに取り組んでいたことに賛辞を贈りたい。


材料と方法の面についてさらに書くと、多くの布石があったことが伝わるだろう。水族館でのイヌザメ受精卵の採集から利用への流れは2016年に開始した大阪の海遊館との連携体制に基づく。同種については、研究拠点が神戸から三島に移行するに際して、新江ノ島水族館とアクアパーク品川からも協力を得る方向に展開した。トラザメについては、下田海中水族館などから協力を得て三島の研究室での採卵体制を整えることができたが、辿れば神戸理研・形態進化研究グループ(倉谷研)でのノウハウを近くで伺える位置にいたことも端緒となっている。イヌザメのY染色体同定は、水族館からの胚供給と門田満隆博士が率いたシーケンス技術基盤の実験スキル、そして、当時研究員だった宇野好宣博士(現・徳島大学准教授)が前職までで培った染色体解析技術のシナジーの賜物であった。染色体規模のゲノムアセンブリを得る以前から、数十KbのY染色体特異的領域を見つけており、現場ではPCRで初期胚のオス・メス判別を行っていた。このオス・メス判別が、性腺分化の経時的な組織学的観察を可能にしたひとつの要素となった。おかげで、オス・メスを事前に判別した胚を当時沖縄美ら島財団にいらっしゃった中村將先生にお送りし、組織切片シリーズを作成いただくことができたからだ。染色体のほうに話を戻すと、そもそもイヌザメがXY型を持つことは、上記Yamaguchi et al., 2023より以前のUno et al., Comm Biol 2020における核型解析によって報告していた。この論文はサメ類4種の核型を報告しただけともとれるかもしれないが、(軟骨魚類ならではの工夫が必要な)細胞培養の手法について記載し、また軟骨魚の核型情報と性染色体の記載を網羅したSupplementary Tableを含めるなど著者としてはこだわりの一報であった。Y染色体の配列情報をより確かにする過程では、染色体スプレッドからY染色体を掻き取る実験が決め手となったが、この実験は、宇野博士のメンターである松田洋一先生の研究室で使われていた特殊な顕微鏡を、関西学院大学の関由行教授および松原和純助教(当時。現・中部大学准教授)のご厚意で利用させていただくことで実現した。


この研究の端緒は、神戸理研のゲノム技術基盤(分子配列比較解析チーム)での支援活動のスキルアップの題材として(ヒト培養細胞など基本的なものに加えていわば「腕試し」として)軟骨魚類試料を使い始めたことであった。最初は2013年ごろで、当時は雌雄の判定もしないままにトラザメの初期胚をゲノムシークエンスに供していたというのが非常に恥ずかしい。技術基盤のミッションは軌道に乗り、そこから時は流れゲノム情報取得の世界標準を意識するようになった。いまとなっては染色体規模のゲノム配列アセンブリにおいてほぼ当たり前となったHi-Cデータ取得のためのライブラリ調製は、前出の門田博士が2018年くらいからの技術的検討と実践を積み重ね、やがてiconHi-Cプロトコルとしてお披露目することとなった(Kadota et al., GigaScience, 2020; 日本語総説)。それ以来、植物までも含む多様な種に活用し、その成果の幾つかが論文の形で発表されている(実績リスト)。今回発表した論文ではイヌザメとトラザメのHi-Cデータ取得を報告しているが、見返したところ、イヌザメのほうは(初期だったので単独の制限酵素のみでのプレップにより)既に2018年8月にデータ取得が済んでいた。他の多様な生物種の解析支援に明け暮れるあまり、ある意味一番大事にしてきた生物種でのアセンブリデータ公開まで長い年月が経ってしまったのである。両生物種とも、初めてのゲノムアセンブリ(当時は染色体規模ではない、いわゆる「ドラフト」)を種々の生物学的な解析を加えて出版したのは2018年10月のことであった(Hara et al., Nat Ecol Evol, 2018)。イヌザメについては、この先行論文が出るころにはすでに染色体規模の配列(あくまでもショートリードベースの「穴」だらけのものだが)を眺められる段階にあった。


シークエンスの潮流がショートリードからロングリードに推移するのに合わせて、研究拠点を生物多様性研究への親和性の高い三島の国立遺伝学研究所に移し、当然のようにロングリードを利用したアセンブリを構築することとなった。軟骨魚類以外のアセンブリも手掛ける例が増える中、やはり軟骨魚類(とくにゲノムサイズの大きな種、トラザメやイヌザメのように)のゲノムアセンブリは難しく、データベースでの配列情報リリースへ到達するのは至難の業である。今回の論文において、そのアセンブリ構築に利用したイヌザメのHi-CライブラリがDpnII酵素のみで調製された理由は、上に記した経緯によるものである。今回のアセンブリの過程では、Hi-Cスキャフォルディング条件についての丹羽君の綿密な検討が加わったことも重要なステップであった。それにもとづくワークフローは他所から依頼された軟骨魚類以外のアセンブリ導出においても現在利用している。


上に「布石」と書いたが、神戸理研時代の技術支援現場はごたごたしており、(さらに予想外のごたごたもあって)段取りよく研究デザインをできていたというわけではなく、気づいたらよい流れになっていた、という面も少なくなかった。そういう流れができたのは、研究室メンバーの努力と知恵のシナジーの賜物だと思っている。当研究室で研究を進める際には、分子進化学、動物学、ゲノム情報学(さらにテーマによってほかの要素も勿論)を適したバランスでブレンドすることが大事になるだろう。しかし、これらすべてをもとから併せ持って加入したメンバーはいなかったと言ってよい。どれかにこだわりがある、あるいは、そのブレンドを自分のキャリアの土台にしたい、という方はどなたでも研究室の戸を叩いていただけるともいえる。この点はここで強調しておきたい。サメの性については、水族館からよく発信される単為生殖の話題も気になるし、ごく最近では、単為生殖がクラスパー様器官を持つメス個体で生じたという不思議な事例(Momota et al., 2025)も報告された。胎生と卵生の違いにも分子レベルで切り込む余地があるし、まだまだ謎だらけである。とくに性決定のメカニズムについては、今回の解析で答えが出たとは言えず、また(約1300種も含んでいる)軟骨魚類の別魚種での解析もこれから続々と報告されるであろう。


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